【今考える】「ニートとは?」という疑問

母は家族のために働く専業主婦だった
母は同居の実母(私の祖母)が要介護認定の障がい者だったため、介護をしながら子育てしてきた。
私が中学3年生のとき、父の仕事の都合でそれまで二世帯同居だった家庭が核家族化してからは、慣れない土地のスーパーのベーカリーコーナーでパートをしながら私と弟を私立大学に行かせてくれた。
(もちろん父も頑張って生活費や学費を稼いでくれた)
祖母が亡くなり、父がやっとこさ札幌に戻ってこられたと思ったら、今度は母の父である祖父が介助を必要とする生活になってしまった。
母が組織に所属して仕事をして給与所得を得ていたのは、新卒社会人時代の数年と、パートしていた間ということになる。トータルで大体10年弱ぐらいだろうか。
母はとても立派な主婦だった。世の中、「専業主婦は甘え」という声もあるが、母を見ているとそうは思えない。
確かに外の社会に出てお金は稼いでいないが、介護・子育てをフルでこなしている母に、果たして甘えがあっただろうかと考えても、「ない」としか言えない。
現在、父は再雇用で働き、母はまた専業主婦に戻った。父が結構こだわりの強い人だから、母は専業主婦として父のこだわりやわがままに付き合っている今の立場でもなかなか大変そうだ。
母の趣味は、クロスステッチ(刺繍の一種)、読書、海外ドラマ鑑賞、YouTubeやInstagram等のSNS鑑賞(ROM専)などで、冬の落ち着いた日に暖かい部屋でちくちく刺繍をしている姿のイメージがある。
しかし、父のお弁当を毎日作って、買い物をし、掃除をして、朝昼晩と食事を作り、洗濯物を山ほど干して、手術をした膝や股関節のリハビリのためにカーブスへ通う。趣味を楽しむ暇がないほど忙しい。
父のお弁当など、作らなかった日がないと断言できるほど作っている。父は趣味でアーチェリーを楽しんでいるのだが、休みの日に射場へ出かける際の弁当も母の手作りだ。
父はとにかく、母や父方祖母や私のお手製の食事が好きで、コンビニ弁当などはあまり得意ではない。「あーもうめんどくさい」と文句を言いながらも、毎日弁当を作る母は愛の人だと思う。
私は専業主婦?それとも……
さて、長く前置きを書いたが本題に入ろう。
果たして私は、専業主婦だっただろうか?
答えはおそらく「YES」なのだが、自分の中で納得できない点がいくつもある。
私にはまず、子どもや介護を要する家族がいない。この時点で、私を家庭に縛る条件はないのである。
そして、趣味もない。日がな一日中、PCでネットをしてダラダラ動画を見たり、月に1度病院に行ったりするだけだ。悪いときなど、ネットで出会ったメンヘラ仲間と通話を繋ぎっぱなしにして、やはりここでもダラダラ喋っていただけだった。
とにかく、することがなくて、暇で、暇は鬱を加速させ、ますます殻に閉じこもる毎日を過ごしていた。
家計にもさして余裕はなく、いつもカツカツ。カツカツどころか、足りないからと親にお金を借りたこともあったぐらいだ。
家事は本当に最低限しかしていなかったので、部屋はいつも散らかり放題だったし、台所はいつも使用済みの食器で溢れていたし、トイレにはサボったリングの黒ずみができていた。
☑︎育児・介護をしていない
☑︎やりたい趣味がない
☑︎無意味に時間を過ごしている
☑︎家計に金銭的な余裕がない
☑︎毎日何もしていない
社会に出られる条件は揃っているのに、いつまでも昔のトラウマや体調不良を言い訳にぐずぐずダラダラしているだけの状態……。
私はもしかして専業主婦ではなく、「ニート」みたいなものなのではないか?
そんな疑問が不意によぎった。
ニートの定義として
・学校などに通わず
・独身で
・仕事で収入を得ていない15~34 歳までの
・求職活動を行っていない人のこと
これらの特徴がある。
独身以外は全部当てはまる気がした。空振り三振でスリーアウトチェンジ後、その裏のイニング先頭打者ホームランを打たれたような気分だった。
婚前から当時彼氏だった夫の家に転がり込んでその後籍を入れたが、親に養ってもらっているか夫に養ってもらっているかというだけの差と感じる。
ただ、これらの定義には若干の疑問がある。
若くしてFIREした人や、不労所得などで働く必要のない人はこの類に入らない。つまり、金があって働いていない人はニートではないらしい。
……でも、うち、お金ないじゃん。
やっぱり私はクソニートみたいなもんだった。定義に当てはまらない部分もあるが、やっぱりそういう人種ではあるような気がしたのだ。
逆に言えば、定義上はニートでも、お金があって働いていない人や、やることや趣味に打ち込んでいて働いていない人は、気持ち的にニートではないような気がする。
私は無気力で、だらしなくて、怠けていた。
そういう自分が嫌いだと口では言っていたのに、そこから抜け出す努力の方向を間違えていた。
改めて、本当の意味での「ニート」とは何なのか
ニートってもしかしたら「定義上」のものでしかないのかもしれない。
世話になっている人が「働け」と言っているのに働かない人は確かにニートなんだけれども、それよりも実感として「よくないな」と思うのは、「何もやること・やりたいことがない」という状態だ。
当時、クソニートみたいな主婦だった私は、例えるならゾンビみたいなもんだった。動いてるのに、生きていない。活きていない。ただ呼吸して、飯食って、排泄しているだけの、死んでるみたいなものだった。
やりたくてニートしている人はいい。しかし、「なんとかしてニート(あるいはそれに似た状態)から抜け出したい」と思っているのに、うまく行動できない人や、情報が得られない人はとにかく苦しいので、やはり良くない。
1日1個でもいい。何かを「学習した」と思えることがとにかく大切だ。
私は現在、Webマーケティングやデジタルマーケティングの勉強をしているが、KPIという言葉を初めて聞いたのは2年前で、今、やっとそれがどういうものを意味するのかを理解したぐらい、時間がかかった。
時間はかかってもいい。なんなら3日に1つでもいい。何か1つでも学習し、学習したことを、金にならなくてもいいから、活かしてほしい。
それができたら、もうニートという地獄を脱するための蜘蛛の糸は掴めている。それから先は、1日10円稼げるようになったらそれを15円にするように学習の内容を1つから2つにすればいい。学習内容を活かす経験を1つから2つにすればいい。
このnoteを読んでいるニートには多分いないかもしれないが、ニートは「一発逆転」という言葉を使いたがる傾向がある。
大谷翔平さんだって、羽生結弦さんだって、羽生善治さんだって、藤井聡太さんだって、なんならそこら辺を歩いている会社員のおじさんだって、仕事を始めていきなりその地位を確立したわけじゃない。
結局人間、1つずつ積み重ねないと大きな成果にはならないのだ。
環境もある。生まれ持ったハンデもある。スタートラインは同じじゃない。だけど、試行錯誤をしていくことによって1歩ずつ前に踏み出すことはできるのだ。その1歩の歩幅は10cmでもいい。10cm前に進んだなら、進んでいない0cmの状態と比べてものすごく大したもんだ。
ニートを脱したい人たち、大丈夫だ。私でもなんとかなった。
進むなら、ゆっくりちょっとずつでいい。いきなりハイスピードで進むと首がガックンとなってムチウチになる。
赤信号で止まっていた車も、信号が変わったからと言っていきなりアクセルをべったりは踏まないはずだ。
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